今では、優れたカーナビがあって自動車運転をする場合には迷わず楽だし、或いは歩く時でも、都市部ならナビタイムなどのサービスによって導かれ、今時道に迷うという事態は、極めて少なくなっている。ところが、ちょっと前までは決してそんなに簡単な話ではなかった。見ず知らずの分岐点に出会った時、我々は迷いの中に迷いを重ねてしまう。それを、上手く説法に使った例があるので見ていこう。人が岐道に在って、疑惑して趣く所無きが如し。 諸法実相の中の、疑も亦復た是の如し。 疑の故に諸法の実相を勤求せず。 是の疑は痴より生ず、悪の中の弊悪なり。 善・不善の法の中、生死及び涅槃、 定実にして真に法あり、中に於いて疑を生ずること莫れ。 汝、若し疑心を生ずれば、死王の獄吏に縛せられ、 師子に搏われたる鹿の如く、解脱を得ること能わず。 世に在って疑ありと雖も、まさに妙善の法に随うべし。 譬えば岐道を観て、利好の者はまさに逐うべきが如し。 『大智度論』巻17 これは、六波羅蜜の一である禅波羅蜜の解釈文に出てくるもので、いわゆる五欲・五蓋を除くことについての意義を解説する中で出てくる偈頌である。よって
人の疑問と分かれ道
10月 13th, 2009
Tags: 301km-6
Content-Length: 5113
